大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成9年(ネ)1059号 判決

東京都千代田区神田司町二丁目九番地

平成九年(ネ)第一〇五九号事件控訴人・同一〇年(ネ)第一二二号事件附帯被控訴人

大塚製薬株式会社

(以下「控訴人」という。)

右代表者代表取締役

大塚明彦

右訴訟代理人弁護士

村林隆一

松本司

今中利昭

浦田和栄

辻川正人

岩坪哲

深堀知子

南聡

冨田浩也

酒井紀子

名古屋市千種区内山三丁目三二番二号

平成九年(ネ)第一〇五九号事件被控訴人・同一〇年(ネ)第一二二号事件附帯控訴人

堀田薬品合成株式会社

(以下「被控訴人」という。)

右代表者代表取締役

堀田和正

右訴訟代理人弁護士

塩見渉

主文

一  控訴人の控訴をいずれも棄却する。

二  原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

三  控訴人の原審及び当審における請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  平成九年(ネ)第一〇五九号控訴事件

1  控訴人

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) 被控訴人は、平成一〇年一〇月二八日までの間、原判決添付別紙目録(一)記載の物質を製造し、輸入し、又は使用してはならない。

(三) 被控訴人は、前項記載の物質を廃棄せよ。

(四) 被控訴人は、平成一〇年一〇月二八日までの間、原判決添付別紙目録(一)記載の物質を有効成分とする気管支拡張剤を製造し又は販売してはならない。

(五) 被控訴人は、前項記載の医薬品を廃棄せよ。

(六) 被控訴人は、第(四)項記載の医薬品についてされた原判決添付別紙目録(二)記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届を提出せよ。

(七) 被控訴人は、控訴人に対し、二五万五八三〇円及び内五万五八三〇円に対する平成八年一一月二〇日から、内二〇万円に対する平成一〇年二月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(原審における「被控訴人は、控訴人に対し、八万〇二三〇円及び内五万五八三〇円に対する平成八年一一月二〇日から、内二万四四〇〇円に対する平成八年一二月一九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。」との請求を右のとおり変更)

(八) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

(九) 仮執行宣言

2  被控訴人

(一) 本件控訴及び控訴人の当審における請求をいずれも棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人の負担とする。

二  平成一〇年(ネ)第一二二号附帯控訴事件

1  被控訴人

(一) 原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

(二) 控訴人の請求をいずれも棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも、控訴人の負担とする。

2  控訴人

(一) 本件附帯控訴を棄却する。

(二) 附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  控訴人の特許権

控訴人は次の二件の特許権を有していたが、これらの特許権は、平成八年四月二八日に存続期間が経過した。

(一) 新規化学化合物の特許権(以下「甲特許権」といい、その発明を「甲発明」という。)

(1) 出願日 昭和五一年四月二八日(昭五一-四七八九二号)

(2) 優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド(NZ)特許出願に基づく優先権主張

(3) 公告日 昭和六〇年六月二五日(昭六〇-二六七八四号)

(4) 登録日 昭和六一年二月二八日(一三〇四〇七八号)

(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体

(6) 特許請求の範囲 原判決添付別紙「甲特許権の特許請求の範囲」記載のとおり

(二) 製剤の特許権(以下「乙特許権」といい、その発明を「乙発明」という。)

(1) 出願日 昭和五一年四月二八日(昭五九-二一四〇九五号)

(2) 優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド(NZ)特許出願に基づく優先権主張

(3) 公告日 昭和六一年九月三日(昭六一-三九二八八号)

(4) 登録日 昭和六二年四月二二日(一三七六二一三号)

(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体を含有する気管支拡張剤

(6) 特許請求の範囲 原判決添付別紙「乙特許権の特許請求の範囲」記載のとおり

2  控訴人は、原判決添付別紙目録(一)記載の物質(以下「塩酸プロカテロール」という。)を有効成分とする気管支拡張剤(商品名「メプチン」)を製造販売している。

塩酸プロカテロールは、甲発明の技術的範囲に属し、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤は、乙発明の技術的範囲に属する。

3  被控訴人は、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤について、原判決添付別紙目録(二)記載のとおり薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受け、現に製造、販売している。

4(一)  被控訴人が右3の製造承認申請をするためには、次の各資料が必要である。

(1) 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として、規格及び試験方法に関する資料

(2) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料

(3) 吸収、分布、代謝、排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料

(二)  被控訴人は、右申請に必要な右(一)(2)及び(3)の各資料を得るための試験に使用する目的で、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過前である平成五年九月から平成六年六月までの間に、塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、右の各試験に使用した(以下「本件製造使用」という。)。

被控訴人が右の期間に製造使用した塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の量は、錠剤が三〇〇〇錠、シロップ五〇〇ミリリットルが一五検体である。

5  被控訴人は、平成八年七月から平成九年一一月までの間に塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(ザネロシロップ、ザネロ錠)を製造し、合計五〇万円販売した。

二  本件は、控訴人が被控訴人に対し、特許法一〇〇条及び民法一条二項に基づき、(1)平成一〇年一〇月二八日までの間、塩酸プロカテロールを製造し、輸入し、又は使用することの差止め、(2)同物質の廃棄、(3)平成一〇年一〇月二八日までの間、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し又は販売することの差止め、(4)同医薬品の廃棄及び(5)同医薬品についてされた原判決添付別紙目録(二)記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届を提出することを求めるとともに、不法行為による損害賠償として、二五万五八三〇円(後記四3(一)のとおり、製造使用による損害五万五八三〇円及び前記一5の製造販売による損害二〇万円)並びに内五万五八三〇円に対する平成八年一一月二〇日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金及び内二〇万円に対する平成一〇年二月二四日(訴変更申立書送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

三  争点

1  被控訴人による本件製造使用は、控訴人の甲特許権及び乙特許権を侵害する行為であるかどうか。

2  控訴人は、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後においても、差止請求権を有するかどうか。

3  控訴人は、被控訴人に対し、本件製造使用及び前記一5の製造販売による損害の賠償を求めることができるかどうか並びにその損害額。

四  争点についての当事者の主張

1  被控訴人による本件製造使用は、控訴人の甲特許権及び乙特許権を侵害する行為であるかどうか。

(一) 被控訴人の主張

被控訴人の本件製造使用は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当する。

(1) 特許法六九条一項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」と規定しており、従前技術を改良し、技術を次の段階に進歩させることを目的とする「試験又は研究」が右に該当することが明らかであるが、それに限定されるものではなく、右条項の「試験又は研究」に該当するか否かについては、特許権者の利益と社会一般の利益を図るという観点から比較考量して決すべきである。

(2) 被控訴人は、本件特許権の存続期間経過後の被控訴人製剤の製造販売を予定し、薬事法に基づく後発品の製造承認申請に添付する資料を得る目的で塩酸プロカテロールを製造使用し、それを有効成分とする医薬品を製造したうえ、前記一4の試験を行い、これにより得た資料を添付して、後発品製造承認を申請し、その承認を得たものである。薬事法の医薬品の製造承認のための審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とする極めて公益性の強いものであるから、右承認申請に添付すべき資料を得るための各種試験も、同じく医薬品の有効性や安全性を確保し、保健衛生の向上を図る公益的な目的を達成するためのものである。

(3) 更に右各種試験に供するため、特許発明の明細書に開示された有効成分と同一の医薬品を製造しようとする場合でも、薬の製剤化のため製剤処方と製造方法を検討することが必要である。製剤の処方とは、医薬品における有効成分(本件では塩酸プロカテロール)を服用し易くするための剤型や、有効成分以外の配合物質を選択決定することであり、製剤の処方が確定しても、製造方法により当該製剤の安定性が相違する場合があるから、作業手順を含めた製造方法や、適切な機器の選択、その運転条件(回転数、時間、温度等)の設定等の検討が必要である。これらの一連の過程には、一つの技術開発とみなし得る側面を有する。

また、右各種試験の目的は、単に製造承認申請に添付する資料を得るというだけでなく、後発品の有効性及び安全性を確認するものであり、先発品と有効成分及び剤型が同一の後発品について、既に先発品により有効性と安全性が確認されているからといって、右試験が不要とされるものでなく、また、右試験の結果次第では、問題点の検討、製剤化の検討が必要となるのであり、試験に供する製剤の製剤化に関する技術的検討と、製造承認申請に必要な資料を得るための試験の実施とは不可分の関係にあるもので、後発品メーカーは、右試験を遂行する中で各種のノウハウを獲得し、自らの技術水準を高め、ひいては社会一般の技術進歩に貢献するのである。

被控訴人は、本件特許発明にかかる明細書に記載されたところに依拠するのみでは現実に製剤化できなかったのであり、それなりの知識、技術、経験に基づき、製剤の安全性を確保し、先発品と同程度の有効性を発揮させるよう、服用し易い剤型を工夫するなどの技術開発が必要であったから、技術開発としての側面も有するものである。

(4) 特許法六九条一項の「試験又は研究」に典型的に該当するとされる研究であっても、目的とする特許発明にかかる技術の改良・発展の程度・内容は種々であり、結果として何らの成果もあげられない場合もあることを考えると、仮に本件製造使用が価値の低い改良にしか繋がらないとしても、「試験又は研究」に該当しないと判断することは失当である。

(5) 仮に、被控訴人の本件製造使用が違法であるとすれば、被控訴人は資料を得るための試験が実施できないこととなり、結果として本来存続期間が満了して特許権を独占できないはずの特許権者が、独占的地位を更に一定期間変更することになるが、これは特許法が保障する利益とはいえないし、現実に被控訴人は右試験を実施するのみで、それ以上に本件特許権の存続期間中に利益を得たり、控訴人と競業することはない。

(二) 控訴人の主張

(1) 被控訴人による本件製造使用は、特許法六九条一項の「試験又は研究」のためにする特許発明の実施には当たらない。

〈1〉 被控訴人による本件製造使用は、控訴人の甲発明及び乙発明の技術的範囲に属する物の製造、使用であるところ、右は、前記一3の後発品製造承認申請のため必要な薬事法上の前記一4の資料を得るために行われたもので「技術の進歩」を目的としてされているものではない。

〈2〉 右後発品製造承認申請のための試験は、前記一4のとおり規格及び試験方法、加速試験(安定性試験)、生物学的同等性試験であるが、右は後発医薬品の品質、有効性、安全性を直接証明し、又は特許性を支える薬効自体の改良に繋がる試験ではなく、既に品質、有効性、安全性が確認されている公知技術たる先発医薬品と同等であることを証明することを目的としてされるもので、新規の技術知見を得る目的でされるものではないから「試験又は研究」に値しない。例えば、「生物学的同等性試験」は、健康な人間に投与し先発医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定するためだけの試験であり、患者を対象とした臨床試験とは異なるから、医薬品の特許性を支える薬効自体の改良に繋がるようなものでなく、せいぜい服用しやすい剤型の工夫などの僅かな改良の端緒となる資料が得られる可能性のある程度である。それゆえ、後発医薬品に対しては、先発医薬品の場合と比較して極めて容易な右各試験で製造が承認されるのである。

〈3〉 特許法六九条一項の本来の技術進歩、改良発明を目的とした追試験なら、右の後発医薬品の製造承認申請の試験等は必要でない。甲発明及び乙発明でいえば、右目的の追試験(物質の生成、薬理効果の確認)なら、本件発明の物質自体の化学構造、製法は特許公報に記載されているから、それに基づいて製造すれば足り、また有用性たる薬理効果の確認も同公報の記載(第60欄3行「摘出モルモット気管支試験」以下)を参照して確認すればよく、薬事法上要求されるような先発医薬品たる控訴人製剤との同等であるとの試験など一切必要がないのである。

なお、先発医薬品と同等との評価とは、先発医薬品との関係において、以下でも以上でもないと評価されることであり、同等と評価されない場合は、もはや後発医薬品ではなく新薬とされ、新薬に要求される厳格な試験が要求されることになる。

〈4〉 被控訴人ら後発メーカーが右試験をする目的は、まさに後発医薬品を製造販売するためであり、薬事法上要求される手続の一環としてしているに過ぎないのである。ここには、特許法六九条一項の予定するような技術進歩を目的とするような試験とは異なり、その意図も一切ない。

以上のとおり、被控訴人の後発医薬品の製造承認申請の試験は、被控訴人自身に技術改良の目的も意思もなく、また、客観的にも技術改良の可能性がある試験ではない。よって、特許法六九条一項の「試験又は研究」には該当しないことは明白である。

(2) 特許法六九条一項の解釈につき、薬事法上の公共性を考慮するのは相当ではない。

〈1〉 薬事法上の審査資料を得るための各種試験自体が、医薬品の品質、有効性、安全性の確保という公共性の強いものであることは否定しないが、本件で問題なのは、被控訴人らが右後発医薬品の製造承認申請のための各種試験を本件特許の有効期間中にしたことである。右試験を特許の有効期間中にすることは、薬事法上求められているものではなく、右各試験を本件特許の有効期間中にすることは右の公共性とは関係がない。被控訴人らが、右試験を特許の有効期間中にする理由は、その経過後直ちに後発医薬品の製造販売を可能にするという被控訴人らの私益のためであり、公共性とは関係がないのである。

〈2〉 そもそも、特許法六九条一項の「試験又は研究」の概念の解釈に、右のような薬事法上の公共性を利益考量の一つに掲げるべきではない。特許法における公共性を言うのなら、それは産業発展に寄与する技術進歩、発展のための改良発明の促進にほかならず、薬事法上の医薬品の品質、有効性、安全性の確保というような一般に対する公益性ではない。

特許法上公共性を考慮した規定としては、公共の利益のための通常実施権設定の裁定制度(特許法九三条)があるが、この規定の「公共の利益のために特に必要であるとき」でも、通常実施権の設定を受けない限り、第三者の特許発明の実施は違法とされているのであり、また、裁定により通常実施権が実施されたとしても有償の実施権なのである。

よって、特許法六九条一項の解釈において、特許権者の承諾もなく無償で、かつ、医薬品の品質、有効性、安全性の確保という見地から、特許権者の独占権を制限できるとする論理は誤っている。

(3) 特許権の存続期間延長制度導入の際、米国では先発医薬品と後発医薬品の試験の調整を図った制度が存在し、また、我が国でも除草剤事件判決が学説の賛同を得ていたにもかかわらず、米国のような明文の規定をおかなかったことに鑑みると、特許権の存続期間中の試験を合法化しない趣旨である。

(4) 特許法は、廃棄請求まで認められる点や、刑罰による裏付けを伴う点において、強度の不可侵性を特許権に付与していると見るべきで、少量しか製造していないとか、特許期間中に先発特許権者に不利益を与えていないということは、損害の有無、程度において考慮すべきものである。

2  控訴人は、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後においても、差止請求権を有するかどうか。

(一) 控訴人の主張

(1) 被控訴人は、特許法を遵守して本件製造使用を行わなかったならば、甲特許権及び乙特許権の存続期間が経過した日の翌日である平成八年四月二九日以降でなければ、塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を製造して、その製造承認申請のための試験を行うことができなかった。それらの試験のうち加速試験には六か月の期間を要し、申請に対する厚生省の審査には二年を要するから、被控訴人は、本件製造使用を行わなかったならば、平成一〇年一〇月二九日以後でなければ、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の市販品を製造販売することができなかった。

しかるところ、被控訴人は、甲特許権及び乙特許権を侵害する本件製造使用を行ったために、早期に、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の市販品を製造販売することができるようになった。

(2)〈1〉 このような場合には、特許権の存続期間経過後であっても、信義則上、特許権に基づく差止請求が認められるべきであり、控訴人は、被控訴人に対し、特許法一〇〇条一項、民法一条二項に基づき、平成一〇年一〇月二八日までの間、塩酸プロカテロールを製造し、輸入し、又は使用すること及び塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し又は販売することについての差止請求権を有する。

〈2〉 また、特許法一〇〇条二項にいう「侵害」の予防には、「侵害行為」の予防のほかに、侵害行為によって惹起されつつある損害の発生、拡大を防ぐという意味で「侵害」を予防することも含まれると解されるから、特許の存続期間経過後に試験をして承認が下りると予想される期間内は、同項に基づき差止請求ができる。

〈3〉 そして、控訴人は、被控訴人に対し、特許法一〇〇条二項に基づき、塩酸プロカテロール及び塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の廃棄並びに同医薬品についてされた医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届(医薬品の製造承認を、申請の行為によって将来に向かって取り消す効果を有する届出)を提出することを求めることができる。

(二) 被控訴人の主張

甲特許権及び乙特許権は、既に存続期間が経過したから、控訴人が、これらに基づいて差止めを求めることはできない。

3  控訴人は、被控訴人に対し、本件製造使用及び前記一5の製造販売による損害の賠償を求めることができるかどうか並びにその損害額

(一) 控訴人の主張

本件製造使用によって、控訴人は、その実施料相当額の損害を被った。被控訴人が本件製造使用において製造使用した量は、前記一4のとおりであり、平成五年当時の本件甲発明及び乙発明の実施品の薬価は、錠剤が五四円三〇銭、シロップ一ミリリットルが一五円五〇銭であり、実施料は、薬価の二〇パーセントが相当であるから、右実施料相当額は、五万五八三〇円となる。

被控訴人の平成一〇年一〇月二八日までの間における塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(ザネロシロップ、ザネロ錠)の製造販売は、本件製造使用があったからこそ初めて可能になったものであるので、控訴人は、被控訴人に対し、右製造販売によって被った損害の賠償を求めることができる。前記一5の販売行為により、被控訴人は、少なくとも二〇万円の利益を得たが、この利益は、控訴人が被った損害と推定される。

(二) 被控訴人

被控訴人による本件製造使用は、前記一4のとおり、製造承認申請をするための資料を得る目的でしたものであるから、控訴人が、それによって損害を被った事実はない。したがって、控訴人は、被控訴人に対し、本件製造使用による損害の賠償を求めることができない。また、仮に、右損害の賠償を求めることができるとしても、実施料率は、薬価の三パーセントが相当である。

控訴人には、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後には、保護されるべべき権利利益は何らないから、被控訴人に対して、前記一5の販売行為により被った損害の賠償を求めることはできない。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

1  前記第二の一2ないし4の事実に証拠(甲六、一四)を総合すると、被控訴人は、医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための加速試験及び生物学的同等性試験等に使用する目的で、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過前である平成五年九月から平成六年六月までの間に、塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、右の各試験に使用した(本件製造使用)こと、塩酸プロカテロールは甲発明の技術的範囲に属し、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤は乙発明の技術的範囲に属すること、そして、右各試験により得た資料を添付して、後発品製造承認を申請してその承認を得たこと、以上の各事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

2  そこで、右の本件製造使用が、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるかどうかについて、検討する。

(一) 特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とするものである(特許法一条)ところ、試験又は研究は、発明を生じさせる基礎となり、技術の進歩をもたらすものであるので、それを特許権の実施に当たるとして禁じることは、かえって技術の進歩を阻害することになり、右目的に反することになる。そこで、特許法六九条は、「試験又は研究」のためにする特許発明の実施には、特許権の効力が及ばないとしたものと解される。

(二)(1) これに対し、被控訴人の前記第二の四1(一)の主張は、特許法六九条一項の「試験又は研究」は技術を次の段階に進歩させるものに限らず、社会一般ないし公益目的に資する試験又は研究、更に薬事法による医薬品の製造承認申請のための試験を含むというものである。

(2)〈1〉 しかし、特許法六九条一項は、「試験又は研究」は発明を生じさせる基礎となり、技術を次の段階に進歩させることを目的としたものであるから、これにつき、例外的に特許権の効力が及ばない旨を定めたものと解されるのであって、同条項に文言上右のような制約がないとしても、技術を次の段階に進歩させることを目的とするものに限られると解することの支障にはならない。

〈2〉 そして、甲第一七号証(鑑定書と題する書面)、甲第二五号証の一(意見書)及び弁論の全趣旨によれば、後発医薬品製造承認申請のための試験は、前記のように、加速試験、生物学的同等性試験であるが、右試験、特に生物学的同等性試験は既に品質、有効性、安全性が確保されている公知技術である先発医薬品と同等であることを証明することを目的としてされるもので、新規の技術を得る目的でされるものではなく、せいぜい服用しやすい剤型の工夫など僅かな改良の端緒となる資料が得られる可能性のある程度のものであると認められるのであって、このように後発医薬品が先発医薬品と同等であるか否かを明らかにする程度のもの(しかも、発明の物質自体の化学構造、製法、薬理効果などは、特許公報に記載されている。)を、技術的進歩をもたらすものと認めることは無理と言うほかなく、したがって、被控訴人主張の試験が、特許法六九条一項が特許権者を犠牲にして例外的に適法性を付与しているところの、技術を次の段階まで進歩させることを目的とする「試験又は研究」に該当するとすることはできない。

〈3〉 また、薬事法上の審査資料を得るための前記各種試験が、後発的医薬品の品質、有効性、安全性の確保という公共性の強いものであることは明らかであるが、他方、薬事法の右試験の内容自体が前記程度にとどまるものであること、薬事法自体右試験を特許の有効期間中にすることを求めているものではないこと、特許法は発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、産業の発展に寄与するという目的を持ち(一条)、公共のため特に必要がある場合の通常実施権の裁定(九三条)においても、通常実施権の設定を受けなければ、特許発明の実施は違法とされ、その場合でも実施権は有償であること、そして、同法六九条一項は、本来独占的に認められた特許権者の利益を例外的に制限したものであることを併せ考慮すると、薬事法上の前記程度の試験の有する公共性を強調するのは相当ではない。

〈4〉 甲第一七号証によれば、特許法に右延長登録制度が導入された際に、アメリカ法のように製造許可を得るための試験は特許権を侵害しないこと、他方特許期間中は製造承認申請を行えないことの規定は置かれなかったものであるところ、当時特許法六九条一項の「試験又は研究」には製造許可を得るための試験は含まれないと解するのが、地方裁判所段階ではあるが判例であり、学説の大勢であったことを考慮すると、当然右状況を認識した上で右の立法がされたと理解するのが自然であって、製造承認を得るための試験を除く趣旨なら法改正の際に文言上も明らかにするはずだと解するのは適当でない。

〈5〉 後発医薬品製造承認申請のための試験が特許権侵害に当たるとすると、右の申請者は、先発特許権の存続期間経過後に、加速試験及び生物学的同等性試験等をした後に医薬品製造承認申請をしなければならないが、後記(三)認定のとおり加速試験には一定の期間を要するほか、証拠(甲六)及び弁論の全趣旨によると、医薬品製造承認申請をしてから、承認されるまで約二年を要することが認められるから、特許権の存続期間経過後も一定期間は、後発医薬品を製造し、市場において販売することができないことになる。しかし、これは、薬事法が医薬品の製造について規制を設けている結果であって、特許権の効力として製造販売が制限されるものではない(ただし、後述二のとおり、本件において控訴人は、被控訴人に対し、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後は、特許権に基づき差止めを求めることはできない。)。

〈6〉 また、特許法六七条二項、特許法施行令一条の三第二号は、薬事法が定める医薬品の製造承認を受けることが必要であるためにその特許発明を二年以上実施することができなかった場合には、特許権の存続期間を、延長登録の出願により延長することができる旨を定めていて、薬事法による規制と特許権の存続期間について調整する規定を設けているが、特許法が調整しているのは、医薬品の製造承認を受けることが必要であるためにその特許発明を実施することができなかった場合に限られており、薬事法による規制のために特許権の存続期間経過後すぐに特許権を実施することができないことそれ自体について調整する規定はない上、右存続期間の延長も、特許発明を二年以上実施することができなかった場合に出願をすることによって初めて認められるのであって、薬事法による規制がある場合に常に調整を行うものではないから、薬事法による規制があることにより、右のとおり、特許権の存続期間経過後も一定期間、後発医薬品を製造し、市場において販売することができない結果が生じるとしても、そのことが、特許法の右調整規定の趣旨を没却するとまでいうことはできない。

したがって、特許権の存続期間経過後も一定期間、後発医薬品を製造し、市場において販売することができない結果が生じることが、特許法上許されないものであるとか、特許法の趣旨に反するものであるとかということはできない。

以上のとおりであって、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるというためには、当該実施行為が、技術の進歩をもたらすようなものでなければならず、そのような性質を有しない実施行為には、特許権の効力が及ぶものというべきである。

(三)(1) 証拠(甲六、一四)によると、被控訴人の行う前記1の医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための加速試験及び生物学的同等性試験の内容は、次のようなものであることが認められる。

〈1〉 加速試験

一定の流通期間中の品質の安定性を短期間で推定するために実施される試験であり、最終製品を、四〇度又は貯蔵温度プラス一五度で、六か月間以上保存し、製品の品質を測定する方法で行う。

〈2〉 生物学的同等性試験

新医薬品として承認を与えられた医薬品と生物学的に同等であることを証明するために実施される試験で、最終製品を原則として健康人に投与して、血中濃度を測定する方法で行う。

(2) 右認定の事実からすると、被控訴人の行う右加速試験及び生物学的同等性試験は、製品の品質の安定性及び既に承認を与えられた医薬品と生物学的に同等であることを明らかにするためにされるもので、それ自体としては、技術の進歩をもたらすものとは認められない。

また、その他、被控訴人の行う本件製造使用が、技術の進歩をもたらすものというべき事情についての主張立証はない。

(四) したがって、本件製造使用は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるとは認められない。

3  そこで、更に本件製造使用が、控訴人の甲特許権及び乙特許権を侵害するか否かにつき検討する。

(一)(1) 前記第二の一のとおり、被控訴人は医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための加速試験及び生物学的同等性試験に使用する目的で、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過前である平成五年九月から同六年六月までの間に、甲発明の技術的範囲に属する塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする乙発明の技術的範囲に属する気管支拡張剤を製造し、右の各試験に使用した(本件製造使用)が、右気管支拡張剤の量は、錠剤が三〇〇〇錠、シロップ五〇〇ミリリットルであり、被控訴人は右各試験により得た資料を添付して、特許権の有効期間(平成八年四月二八日)内の平成八年三月一五日に、原判決添付別紙物件目録(二)記載のとおり薬事法一四条所定の医薬品製造承認申請を受け、現に製造販売している。

(2) 弁論の全趣旨によれば、被控訴人の本件製造使用は、特許期間中にされたものであるが、それ自体医薬品製造承認申請の資料を得るために行われており市場に販売したりしていないこと、また特許期間経過後に販売するために予め製造、備蓄してはいないこと、本件製造使用により直接利益を得てはいないし、特許権者である控訴人の営業と競合しこれを妨げたものでもないこと、更に被控訴人の前記第二の一3の製造販売は甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後であることが認められ、したがって、特許権者である控訴人の特許期間中における経済的利益の独占に影響を与えてはいないものと認めることができる。

(二) 右のとおり、被控訴人は、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後に速やかに後発医薬品の製造販売をするため、右特許の存続期間中に薬事法上の製造承認申請に必要な資料を得る目的で本件製造使用をしたものであるが、その製造量は前記のとおり少量であるうえ、製造承認申請の資料を得るための各種試験にそれを使用し、右以外に使用し又は販売したりしたものではないなど、特許権者である控訴人の特許期間における経済的利益の独占に影響を与えていないことからすると、被控訴人の本件製造使用は、特許権侵害行為としての実質的違法性を欠くというべきである。

(三) 控訴人は、特許権は、廃棄請求まで認められる点や、刑罰による裏付けを伴う点において、特許法は強度の不可侵性を特許権に付与していると見るべきで、少量しか製造しないこと、特許期間中に先発特許権者に不利益を与えていないことなど右(一)のような要素は、損害の有無、程度において考慮すべきものである旨主張するが、特許法が特許権者を強く保護していること、また特許権の侵害に対して損害賠償請求できることはもちろんであるけれども、特許法の分野においても、実質的違法性を欠くと評価すべき行為の存在することを肯定することが妨げられる理由は全くなく、控訴人の右主張は失当である。

よって、被控訴人による本件製造使用は、実質的に違法性を欠き、控訴人の甲特許権及び乙特許権を侵害する行為であるということはできない。

二  争点2について

前記第二の一1のとおり、甲特許権及び乙特許権の存続期間が既に経過した以上、控訴人が、被控訴人に対し、これらの特許権に基づいて、差止めを求めることはできない(なお、控訴人が被控訴人に対し不作為を請求する部分(平成九年(ネ)第一〇五九号事件控訴の趣旨(二)及び(四))についてはその期間が経過している。)。

前記第二の一4認定の事実によると、被控訴人は、本件製造使用を行わなかったならば、甲特許権及び乙特許権の存続期間経過後も一定期間は、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができなかったものと認められるが、特許権に存続期間が設けられている以上、特許権は、その期間内においてのみ効力を有することは明らかであって、右事実は、特許権の効力を存続期間経過後も認めることの根拠となり得るものではなく、その他控訴人の主張を認めるに足りる根拠はない。

三  争点3について

前記一及び二で認定したとおりであるから、控訴人の被控訴人に対する本件製造使用及び前記第二の一5の製造販売による損害賠償請求は理由がない。

第四  結論

よって、被控訴人の甲特許権及び乙特許権の存続期間中に行った本件製造使用及びその期間経過後の行為が違法であることを理由とする控訴人の原審及び当審の請求は理由がないから、控訴人の控訴及び当審における請求を棄却し、被控訴人の附帯控訴に基づき原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渋川満 裁判官 河野正実 裁判官 佐賀義史)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例